私が『天才を殺す凡人』という書籍を読んでいた時、物事のどこを切り取るかで人々の見える部分が全く別の世界になるということを学んだのでみなさんにお伝えしたいと思います。
今からお伝えすることは『天才を殺す凡人』の一部の描写です。
興味がある方はリンクを貼っておきますので、よろしければご覧ください。

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アラジンの主人公について
『天才を殺す凡人』の例え話にアラジンが出てきました。この書籍はアラジンのストーリーを『共感性の罠』と表現しています。そしてこの『共感性の罠』は『愚民政治』を招きやすいと描かれているのです。
アラジンの映画は、アラジンが貧しさゆえに食い繋ぐためにパンを盗むところから物語が始まります。
そして、そのパンを食べようとすると目の前にお腹を空かせた子供たちがいるのです。
アラジンはパンを自分で食べずに、そのパンを子供たちに与えました。
みなさんはこのアラジンの行動についてどう思いますか?
『アラジン優しい』『アラジンめっちゃいいやつ』と思った方は物事の見える範囲だけでアラジンのことを判断しています。
私は『アラジンいいやつ』と思っていましたが、、、笑
もし、みなさんの普段行くパン屋さんで知らない人がパンを盗んだらあなたはどう思いますか?
私はその盗人を許しません。
しかし、同じような状況がアラジンで起きているのです。
なぜ、同じ状況なのに、『優しい』と感じたり、『怒り』を感じたりするのでしょうか?
書籍によると、人が人を判断するのは『見える範囲』だけでその人を判断する。
今回のアラジンの例を挙げると、確かにアラジンはパンを盗むという悪いことをしています。しかし、その後パンを子供たちに分け与えることで、視聴者が共感してしまって『悪さ』がなくなっているのです。
仮にアラジンがパンだけ盗む描写だけだったら、あなたはどう思いますか?
また、パンの店主が病気の妻のため毎朝早起きして朝から晩まで汗を流す描写が描かれていたら、どう思いますか?
おそらく、ほとんどの人がアラジンは『悪いやつ』と思うでしょう。
このように物事の切り取り方だけで、人々の共感性は変わってしまいます。
昨今では印象操作という方が馴染みがあるかもしれません。
そして、テレビはこの印象操作がとても上手いのです。
マスコミの印象操作について

私が高校生の時メディアから受けたインタビューについて、これは『印象操作』だったのではということを伝えていきます。前提として今からお伝えすることはあくまで私の推測です。
私が高校2年生の時、部活動の体罰問題が話題になりました。私の通っていた高校でも部活の体罰があり、メディアから取り上げられたのです。
その体罰をしていた先生を仮にA先生とします。
メディアがこのA先生についての情報を手に入れるため、放課後帰宅中の生徒にインタビューをしていました。
私はそのインタビューを受けた一人です。
インタビューの質問は
・A先生は普段どんな先生でしたか?
・A先生の体罰について思うことはありますか?
確かこんな感じでインタビューされました。
『A先生は普段どんな先生でした』という質問に対して
私は「身体が大きくて、少し怖そうな感じもありました。でも実際に体育の授業を受けてみると怒るところはしっかり怒って、褒めるところはしっかり褒めてくれる熱い先生という感じでした」
『A先生の体罰について思うことはありますか?』
私は「体罰をしていたとう噂はちらほら聞いてました。でも私はそのことについて全く知らないので他を当たった方が良いと思います。仮に体罰をしていたら、それは許されることではないかなと思います」
私はメディアの人が渡した書類にサインをすると、メディアの人が「明日の夜のニュースに顔を映らないようにしてテレビに出るかも」と言われました。
この時高校生の私はバカで、(全国放送に出る!やった〜)と思っていました笑
しかし、実際にテレビでインタビューを受けている私の発言に違和感を感じました。
『A先生は普段どんな先生でした』という質問に対して
私は「身体が大きくて、少し怖そうな感じもありました。でも実際に体育の授業を受けてみると怒るところはしっかり怒って、褒めるところはしっかり褒めてくれる熱い先生という感じでした」と答えたはずです。
しかし、テレビでは「身体が大きくて、少し怖そうな感じもありました」とその後の部分がカットされていたのです。
『A先生の体罰について思うことはありますか?』
テレビの私は「体罰をしていたとう噂はちらほら聞いてました。仮に体罰をしていたら、それは許されることではないかなと思います」
とまたもやカットされているのです。
仲の良かった同級生もインタビューを受けていて、彼もA先生の良い部分と悪い部分を8:2くらいの割合で言ったはずなのに悪い部分だけ放送されていたのです。
A先生をしらない世間からすると『A先生って悪いやつ』『体罰めっちゃする人』という印象になります。当然学校にも嫌がらせの電話が山ほどきたそうです。
テレビは『視聴者が見てくれる話題』を出さないと視聴率が下がるのも理解出来ます。しかし、A先生が部活熱心な先生で、部活の朝練の準備をするために毎朝誰よりも早く来て、授業が終わった後も生徒たちが満足するまで居残り練習に付き合って、また早い朝を迎えるという背景は世間には伝わっていません。
もちろん体罰はいけないことです。しかし、A先生だけを一方的に攻めてしまう話題を出すのではなく、それを見てぬふりしていた学校体制にも焦点をあてるべきではなかったのかと私は思います。
結局A先生は世間から『体罰するだけの教師』というレッテルを貼られてて学校を去りました。
物事は常に疑え
前述で人は『見える範囲』で物事を判断すると伝えました。
特にテレビは印象操作が上手いです。
物事の見えていない部分はどうなっているのか?
これを常に頭の中に入れて、テレビのニュースなどは見た方が良いでしょう。
今は情報が溢れかえっています。その情報を私たちが選ぶ時代になっています。この情報は正しいのかと常に疑うようにすることで、私たちは正しい情報を選択出来るようになります。
参考文献:天才を殺す凡人